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Outputの練習がてら、思ったことや自分の考えをまとめていきます。

8年弱お世話になった某TRを退職します

某TRを卒業します

某TRについて

私がいた某TRは、愛知のSIerです。知ってる人は知ってる、チョット怖い会社です。(?)

優秀なエンジニアが複数在籍し、書籍を出している人や講演会で講師をしている人などいろいろいました。 プログラミングや技術選定で困った時は、何を聞いても基本のきから、基礎まで教えてくれる人が揃っていました

入社当時はそれが普通と思っていましたが、今ではこれがどれだけ恵まれていたかを実感しています。 素晴らしい上司、先輩の揃った職場でしたが、そんな某TRをこの度退職することにしました。

上司、先輩方へのお礼を含めて、入社から退職の経緯までをざっくり書いておこうと思います。 ちょっと長くなりすぎそうなので、複数回に分けて投稿しようと思います。

某TRとの出会い

IT業界に入るきっかけ

場所を選ばない仕事がしたい。船旅しながらできる仕事がいい。」そんなことを思って選んだのがIT業界でした。

先に言っておきますが、船旅をしながら仕事ができるほどのスキルは身についておらず、目標は未達です。 現実はそんなに甘くなかった。スキルがなければ、自由も手に入れることは難しかった。入社前の私は、そんなことも分かってなかったひよっこでした。

IT業界に入る前は、営業職とテレビ業界でのお仕事をしていたので、入社当時はITに関する知識はゼロでした。 ちなみに大学も外国語学部卒業なのでプログラミングは当たり前のようにやったことはありませんでした。 プログラミングなんて難しいことはできる気もしなかったけどIT業界に入りたくて、何から入ったら興味を持って勉強できそうかを考えた結果、デザインには興味があるという結論に達しました。

まずはやってみようということで、入社前にウェブデザインの学校に3ヶ月通いました。 デザインを考えるのは楽しいし、HTMLとCSSを書くことでWebサイトがそれなりに出来上がっていくのは楽しく、毎日通って3ヶ月程度で卒業しました。

家がない、職もない

未経験だけど雇ってくれるところがあるといいな…なんて思いながら就職先を探そうと思ったら、いろいろあって住民票が浮いてしまっていることに気づきました。

住民票や住所がないと派遣の登録もできなくて、とりあえず家を借りようと思ったんですが、住民票も住所も職もないと家も借りれないことに気付いて絶望。 とりあえず営業時代にお世話になったIT企業の社長に電話して会いに行った。

りた「住所ないし未経験だけどIT業界で働きたい。どこか雇ってくれるところないでしょうか?」

社長「んー。うちくる?」

ということで、就職が決まりました。職があるということで、家を貸してくれる不動産屋が出てきて、家が決まりました。

某TR参入

この会社は在籍エンジニアの派遣をしている感じの会社で、初めて派遣された先が某TRという会社でした。

面接の時、あまりに未経験者っぽさ丸出しだったので受かるかどうか心配だったんですが何故かスルッと受かり、協力会社の一員として某TRに参入しました。

面接してくれた人にあとで聞いた話、「やる気があったから採用することにした」とのことでした。やる気、大事。 これが某TRとの出会いでした。

そこから1年、協力会社として働きつつ、給料の安さに悩んでやっぱり業界を辞めようと思って在籍の会社にも某TRにも「やめます」と伝えたところ、「やめるくらいならうちきたら?」と誘っていただき、入社する運びとなりました。

某TRでやってたこと

ざっくりいうと、「開発に関わる某かは大体一通り経験したよ」みたいな感じです。 実装は苦手です。雑魚エンジニアですみません。

広く浅くという感じで、専門性があまりないところがウィークポイントです。 顧客折衝やいろんなタイプの人と一緒に仕事ができる(比較的誰とでもうまくやれる)のは強いところだと思っています。

身についたスキル

某TRの仕事では、下記のようなスキルが身につきました。

個人的に一番やって良かったのはスクラム開発です。 きょんさんにご指導いただけたことも大きかったと思います。転職先でも最も役に立ちそうなスキルの1つです。

これ以降は日記みたいな感じで印象に残っている思い出を少し書いていきます。

無茶振りばかりされていたらしい入社当初

参入直後にやったのは、今でも忘れないペーパープロトタイピングでのとあるサイトの試作でした。

参入した頃からずっとお世話になったマネージャーは、新しいことが大好きな人で、ペーパープロトタイピングも新しい試みでした。 試行錯誤しながら、何度も書き直しました。 テストをしたり、設計系のドキュメントも書きました。何も分からなかったので、初めは質問ばかりしていました。

質問して、やってみるを繰り返していくうちに、わかることも増えていきました。

後になって聞いた話、当時のマネージャーは無茶振りと思われる仕事の振り方が多く、私も周りから見たら、無茶振りに付き合わされている可哀想な子、と思われていたらしいです。

私は、IT業界に入って初の仕事がこれだったので、そういうもんと思っていて、やれと言われていることは、全て自分にできると思われて仕事を振られているのだからできるはず、って思ってひたすらにやっていただけでした。

苦労もあったけど、このマネージャーの元で仕事させてもらえたことで、自分の実際の能力よりも少し先のことに常にチャレンジさせてもらえたことになり、成長はできたのではないかと思っています。

プログラミングコンプレックス

入社から半年くらい経った時、初めて実装をやらせてもらいました。 家で勉強したりはしていたけど、いざ書いてみるとどうしていいか全然わからなくて、また質問ばかりの日々でした。

大体毎日何かにハマって、数時間無駄にしてしまう。 もっと早く聞けばいいのに、もう少し調べたらわかる気がしてしまって粘る。結局分からなくて聞く。

そんなループでした。

実際、自分が3時間悩んでいたところなんて、先輩に聞いたら30秒で解決するような問題で、本当に時間を無駄にしてしまって毎日自己嫌悪が止まりませんでした。 周りの先輩ができる人たちすぎたこともあり、自分のできなさに本当に嫌気がさしました

それでも、先輩に教えてもらいながら実装をやっていくうちに、できることも分かることも増えていきました。

エラーメッセージはちゃんと読むことすらできなかった私でしたが、今ではエラーコードを読んで何とか自分で解決できることも増えました。 要件に則って、簡単な改修であれば一人で全部やれるようになりました。

複雑な要件の場合は、今でも誰かの力を借りないと解決できないことは多いし、プログラミングに関してはコンプレックスしかないですが、入社当時よりはかなりできるようになったと思います。うまくできないけど、読みやすいコードを書こうと意識できるようになったのも成長だと思っています。昔は動けば何でもいいくらいに思ってたけど、今ではリーダブルコードに書いてあることの重要性を身をもって体験し、大切さが身に染みています。

これもあとで書きますが、お世話になった先輩方がご指導くださったおかげです。本当に感謝しています。

自分の理想とするポジション

プログラミング以外でも、たくさんの学びがありました。 自分が実装を頑張るよりも、実装以外のところで力を発揮した方がチームとしての効率が良かったこともあり、 ドキュメンテーションや顧客折衝系のお仕事も多くやらせてもらいました。 優秀なエンジニアと仕事させてもらうことが多かったので、優秀な人とどう仕事をしていくのが良いかについては、ひたすら考えさせられました。

自分の中のひとつの結論としては、他人の強いところと自分の弱いところを比較して落ち込むよりも、 自分の強いところを伸ばし、弱いところは助けてもらった方が良いということです。 もちろん、弱いところを補う努力も必要だと思います。

一人一人だとできることは限られますが、チームとなるとできることは増えます。 チームで見た時には、一箇所だけ尖っているよりも、丸に近い方が乗り越えらえれる問題も多いと思うので、自分はチームの中の凹んでいる部分を補える人でありたいなーと思っています。

比較的うまく顧客折衝ができたことと、力のあるエンジニアと一緒に仕事させてもらえたことで、お客様には好評いただくことが多く、いろんなお仕事の引き合いをいただきました。 そのおかげで、出向や業務委託など、いろんな立場でのお仕事をさせていただき、視座を変えることが昔より楽にできるようになりました

大変なこともたくさんあったし、人知れず泣いたこともあったけど、今思い返せばどれも大変良い経験でした。

謝辞

  • お世話になった上司方
  • お世話になった先輩方
  • お世話になった同僚たち

お世話になった方々には下記のリンクに一言ずつお礼を書かせていただきました。

(関係者以外の人が見ても面白い事はあまりないと思います…。)

8年弱お世話になった某TRを退職します(謝辞) - litamemo

退職の理由と今後

ざっくりいうと、いろいろあったんですw

下記に詳しく書きました。

8年弱お世話になった某TRを退職します(退職の理由と今後) - litamemo